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鹿児島宮崎旅行記②【鹿児島編】~人生観が変わる知覧特攻平和会館訪問~(文章多目)

その他なんでも

 さてさて2日目。鹿児島はいろいろと見どころのある地域です。桜島、天文館、指宿温泉などなど。県外者の私でも有名どころの観光地はいくつも思いつきます。そんな中嫁さんから表題の知覧特攻平和会館に行きたいとの希望が。実に珍しい。うちの嫁さんは、戦争物は苦手で、特にこういった特攻などの資料館的なところは、絶対泣くからいかない派だったと思ったのですが。理由を聞いてみると、「ある本を読んで行ってみたくなった」とのこと。その本では人生に行き詰まり目標を失った主人公が知覧の特攻平和会館を訪れたことにより、人生観が大きく変わりその後の人生に大きく影響を受けた、といった内容の本だったそうで、自分も行ってみたくなったとのこと。嫁さんも働いているのですが、ここ最近、自分の社会的価値について、仕事をするうえで疑問を持ち、悩むことが多いとのことで、家でもよく相談されていたのです。


 そういうことならば、行くべきでしょう。私も一度は行ってみたかった場所です。二つつ返事で2日目の予定は決まりました。旅行記①で書いた通り、当初予定に入っていなかった鹿児島国際大学学園祭参加により(写真はありません)、予定が押してしまったこともあり、平和会館に到着したのは午後2時前。それから2時間弱の滞在でしたが、夫婦ともども行ってよかったと思っています。天気予報は曇りのち雨の不安なものでしたが、ぎりぎり雨に降られることもなく参拝することができました。

 到着してまず、若く志半ばで命を燃やした先人に対しこちらの特攻平和観音堂でお参り。

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敷地内には、全国の有志からの寄付で立てられた、とこしえにの銅像や石版が多く点在しており、一つ一つ見ていくだけでも当時の凄惨な状況を思い起こさせられます。

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こちらが目的の知覧特攻平和会館。会館前に植樹されている木(名前がわかんないけど)が、飛行機や鶴のような鳥にも見えます。おそらくは長い年月をかけて、そのような形に育ててきたのだと思います。

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 館内は撮影禁止のため写真はありません。展示物の多くは特攻命を散らした隊員たちの絶筆(遺書)です。読めば読むほど涙が出てきます。故郷に残した父母兄弟を思い、必ず戦果をあげて皆を守り通すといったものから、父母より先に逝くことにより悲しみを与えてしまう自分の苦しみや不安を綴ったもの。またある絶筆は幼い子供たちに対して綴った父親としての優しさ溢れる温かい手紙。母親を助け、他人の父親を羨んではいけませんよと。自分は皆を守るため逝くが、目には見えないが必ず近くで見守りますよと。これらどの手紙にも、これから自分は死んでしまい、自分の手で守っていけなくなることに対する無念、心配、願いが伝わってきて自然と涙が頬を伝います。とても数日後には必死の作戦に身を投じる人間が書ける内容ではない、壮絶な精神力のこもった絶筆が所狭しと展示されています。これは丸一日かけてでも全文読みたかったです。

 この知覧の特攻基地から飛び立ったのは陸軍航空隊。飛行機による敵艦への特攻作戦は海軍が最初に行ったとされていて、映画にもよく登場しますが、戦局著しく悪化した戦争末期には陸軍でも同様の作戦が遂行されていたのですね。
こちらは敷地内に展示されている、陸軍一式戦闘機「隼」の特攻仕様のレプリカです。

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左の翼下には250Kg爆弾を搭載し、右の翼下には同じくらいの重量の増加タンク。一度飛び立てば敵艦に当たるまで決して投下しない爆弾をぶら下げ、特攻目的地の沖縄までの2時間程、搭乗員はどのようなことを考え機体を操ったのでしょうか…。仮に自分だったらどうだろうか…。

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 ひとしきり絶筆を拝見した後、語り部の方がこの知覧の特攻に関する講演を行うとのアナウンスが。嫁さんと二人で視聴覚室へ向かいます。語りは30分ほど。この知覧特攻基地ができた経緯から、作戦に参加した隊員の背景・特攻までの様子、絶筆の紹介、そして平和への願い。濃い30分でした。私たち夫婦共々号泣。周りの聴衆からも鼻をすする音が絶えません。

 この語りの中で印象に残ったこと…。語り部さん「みなさんの今があるのは、戦争のために意図せず命を絶たなければならなかった若者たちと、その戦争を生き抜き戦後間もなくして日本復興のため命を燃やした先人の方々が築きあげた礎のおかげです。その方々に感謝の思いを馳せ、今の時代を生き抜くことを忘れないでください…。」心に刻みました。

最後にこの写真。

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 特攻平和会館横の敷地内、杉林の中に復元された三角兵舎。当時、特攻出撃が決まった隊員たちが、出撃2~3日前にここに集い、夜を明かした兵舎です。ご覧のように、半地下に建設され、入り口以外窓の無い擬装された建物の中で、残りわずかな時間を仲間とともに過ごし、ある方は絶筆をしたため、ある方々は酒を酌み交わし、様々な思いを募らせていたものと思われます。

 私たちの今があるのは、こういった方々の尊い犠牲の上に成り立っています。忘れません。みなさん、ここは一度は訪れる意味のある場所です。

【余談】

 最近、多くの国でテロ活動の一環として無差別な自爆攻撃なるものが多く報告されています。欧州のあるメディアではこれをKAMIKAZE攻撃だと表現しています。神風に対する理解不足としか言いようもなく悲しいことです。命を賭して目的を遂行しようとする点ではある意味一致している部分もあると理解できなくは無いですが、今回紹介した特攻は明らかに軍用物をその対象としており、またその思いは復讐ではなく、純粋に国を憂い家族を憂い自身がこの世を去ってからのことを憂慮しながら、後の人間に自分の役割を託さざるをえなかった悲しい悲しい青年たちの歴史的事実なのです。仮に宗教を国・家族と置き換えたとしても、無差別に関係ない人間を巻き込んで自爆するテロリズムとはその構造・背景は断じて違います。この資料館を訪れた私としては自爆テロに対して嫌悪感さえ抱くとともに、カミカゼをテロと同一視する欧州の一部メディアに対しまたそれに共感を覚える人々に深い失望を禁じえません。