4075レ銀釜再び!~大分 ー 南延岡追っかけ~
新年あけまして遅くなりましたがおめでとうございます。昨年の年末休暇は短くてあまり休めた気がしませんでした。みなさんはいかがお過ごしでしたか??
さて新年最初の連休の今日、表題の貨物列車の機関車はまたまた銀釜でした。昨日の機関車運用を確認した時点で、今日、本貨物運用に就くのではないかと予想し、早寝早起きして追っかけを決行しました。これまでロケハン経験のある撮影ポイントとして次の6カ所を計画。
①大分市田ノ浦ビーチ付近山中
②大分市乙津川橋梁
④宮崎県延岡市北川橋梁
⑥終点南延岡駅
うーん、盛りだくさん。すべて撮影できるか結構タイトなスケジュールです。
まずは①の大分市田ノ浦ビーチ付近山中にて。
ここはいつも撮影しているおなじみのポイント。麓の駐車場に車を駐車し一気登山。しかし朝から山登りはキツイ…。やはり注目の銀釜のためか、いつもは遭遇することのない同業者さんに会いました。朝早くにご苦労様ですm(_ _)m。 その方曰く、この銀釜こと、最後まで運用されているEF81-303号機も2月で運用終了の噂があるとのこと…。マジですか!?あくまで噂らしいのですが、こういった話は特に山登りで心拍数の上がった心臓によくありませんね…。ガセネタであることを祈るばかりです。今日は貴重な撮影になりそうです。気合を入れて追いかけます。
天候は概ね晴れ。雲量が多く、日が照るかどうか心配でしたが、運よく通過時にはお日様が出てくれいい感じに取れました。PM2.5の影響も少なく、奥の別府市まできれいに写り込みました。ここでの撮影は満足v
さて、次の乙津川橋梁へ向けて移動開始!
現場に到着して間もなく、貨物に先行して発車した783系にちりんシーガイア7号がやってきました。とりあえず練習を兼ねてパシャリ。少し雲が多くなって光量が足りない…。もう少し、鶴見岳の稜線がはっきり写り込めば満足なのですが…。本命通過までに天気が回復しないかなぁ…。
天候は回復せずやってきてしまいました。ここのポイントはいつも同業者さんが多数いらっしゃいます。本日も漏れなくたくさんの方が撮影されていました。みなさん良い写真撮れたかな。
西大分でコキ5両解放。余計に空コキが目立ちますね…。今日は黄タンコもコキ1両分しかなく、少々さびしい編成に。(でも年末の空っぽ具合に比べればまだマシか…)
空コキが入らないように機関車を主題にして1枚。これ結構好き。あくまで自己満足。
さて、次は津久見へGo!(間に合うかな…。)
ギリギリ間に合いました~w。でも南下するにつれて雲量が増していき、ここではとうとう完全に日が陰ってしまいました。残念無念。それにしても山登りは辛い…。このポイントは車で登ると地元の方に迷惑がかかるので、麓に駐車して登山です。ダッシュして山を駆け上ったので肺が飛び出そうです…。さて次は延岡北川へGo!
うーん、ここも陰ってました…。なんか北川で撮影するときはいつも雨か曇りな感じです(泣)ここでも同業者の方に会いました。やっぱ銀釜好きなんですよね~。
も少し近づいて1枚。油膜が…。洗車してあげたい…。
通過後、バックショット。黄タンコが映えますな。さて次は五ヶ瀬川橋梁へGo!
手前の延岡駅でコキ6両解放して黄タンコのみの編成になりました。おもちゃみたいですねw。日本で一番短編成な貨物列車の完成ですw
さて最後は南延岡駅に行ってみます。
南延岡駅の外観(雑草すごすぎぃ)。キハ220が1両だけ休んでいました。逆にカメラを振ってみると・・・。
既にパンタグラフを下していました。夜の折り返し運転までお休みです。黄タンコも回収されてどこにも姿が見えませんでした。
今回は多少日が陰って残念でしたが、貴重な銀釜をガッツリと追いかけることが出来て満足です。あとどれくらい撮影できるかわかりませんが、機会がある毎に記録していこうと思います。
それにしても、最近4075ネタばかり…。そろそろ別のネタに移らねば。
今日はこれくら~い。
今日の4075レ 銀釜運用~寝坊が悔やまれる・・・
表題の貨物列車、南延岡行き貨物列車ですが、今日の機関車はEF81-303号機でした。某サイトで釜を確認したのが9:30…。起床後すぐでした。外は快晴。PM2.5による霞も無く、何と見通しの良いことか!しかし起きるのが遅すぎた!言い訳するわけではないのですが、今日この釜が日豊線運用につくのは自分的にイレギュラーで完全に油断してたんです。とにもかくにも、大分駅に10:00頃入線のため、急いで身支度を整え、大分駅へ。時計を見ると9:55。間に合った。大急ぎでカメラを組み立て、設定を調整します。1枚試し撮りして確認していると…。来ました、EF81-303。
ギリギリセーフといったところでしょうか(汗)重さ7kgほどの機材を抱えて大分駅までダッシュしたので息も絶え絶え…。来年はもっと運動しよう…。
EF81の300番台はかつて4両存在していました。九州と本州をつなぐ関門トンネルを通過する車両として製造され、塩害対策としてステンレス製の外板を持つ車体となっていることが特徴なのです。この300番台4両のうち301、302号機は当時一般色であったローズピンク色をまとい、303、304号機は塗装がされず銀色の車体となっています。このため、303、304号機は「銀釜」と呼ばれ目を引く存在でした。2015年12月現在、4両あった300番台のうち、301、302、304号機は定期運用を離脱し、この303号機のみが孤軍奮闘しています。
この車両もいつまで活躍できるか非常に不安ですが、できるだけ長く活躍していただきたいものです。
車体側面の銘板を。昭和61年改造と書いていますが、製造年は昭和49年ですので今年で41歳。かなりご高齢ですね。
こちらは、出発シーンです。やはり注目度が高いためか、結構な数の撮影者をお見かけしました。それにしても、最近は子供も良いカメラ持ってるんですな(゚д゚;)
あ~・・・それにしてもこんなに天気よくて空気も澄んでるんだから、いろんな撮影地で撮影したかった・・・orz
この後予定が入っていたので延岡までの追っかけもできず・・・ぐやじぃ( ノД`)
でも年末だからか、コンテナスッカスカだったからいいか。(負け惜しみ…)
次の機会に追っかけるぞ!(仕事の休みと天候がマッチするのが難しいだろうけど…)
今日はこんくら~い。
貨物4075レ~プチ追っかけ
ここのところ所用続きで鉄活動ができず更新も滞りがち。いかん。
今日は土曜日、会社は休日。昨日は出張から帰ってきたのが日付が変わってからだったけど7時に起床。天気は快晴。空気も割と澄んでる。いい感じ。
よし、少しだけ疲れた体に鞭打って鉄活動をば。
というわけで、表題の貨物列車を狙って出発。某有名サイトを確認したところ、今日の機関車はEF81-717。ローピン(ローズピンク色の機関車の略称)じゃんw いいね。
というわけで、どこで撮影しようかな。まずは定番のココ。
うん、やっぱり空気が澄んでて良い感じ。奥の別府市がきれいに写り込んでいますね。
しかし、この場所まで徒歩で登ったのですが、仕事の疲れかはたまた歳のせいか、息切れしてしまいました・・・。
このソニックの後に来た815系普通電車。遅延がなければ、この列車の後に4075レ貨物が来るはずです。
ずーっと遠く、最大焦点距離で覗いていると、お目当てのローピンがやってきました。
トリミングして拡大してみても、さすがにこの距離では対象物が小っちゃすぎ。でもこれはこれで良し。早く来い来い。
大分近づいてきましたw
貨物の積載率が少し不満ですが、きれいに取れましたw。
さて、表題にあるとおり、もう一か所くらいプチ追っかけして撮影しようと計画。場所は乙津川がお手頃か。
乙津川にかかる橋梁についてすぐ、貨物に先行して出発した783系にちりんがやってきました。うん、光線状態も良いですね。バックにある鶴見岳もよく写り込んでます。
そしてお目当ての貨物がやってきました。
西大分でコキ5両ほど解放して、少し短編成になっていました。
やっぱり、ローピンの機関車は味があっていいですね、私は大好きです。
このまま延岡まで追っかけ~も考えましたが、昨日までの仕事の疲労がマックスなので今日はあきらめました。
久々の鉄活動、やっぱいいっすね~~。今日はこんくら~い。
にちりんの今昔。
ここ数日、風邪でダウン。回復にも時間がかかる。歳とったなぁとしみじみ思う。個人的な事情から撮影にも行けずブログの更新も途絶えがち。せめて過去の写真から何かないかと思い今日はこんな写真をむりくりアップ。
写真は在りし日のDo32編成485系。日豊線を走るL特急にちりんと言えば、電化後の主役として長年この型の車両が充当されてきました。
今は宮崎空港駅が終点となっていますが、昔は鹿児島まで直通で通ってました。
昨今の利用者状況から区間の短縮、両数の減少など、先細りな感は否めませんが、まだまだ頑張って路線維持をしています。
485系にちりんが定期運用を離脱してから、主に充当されていたのが次の写真の783系。
この車両はJR発足後、最初の新型特急列車としてハイパーサルーンの愛称でデビューした車両です。そのころから一部にちりんにも使用されていたのですが、この「ハイパー」の愛称をもらい、「ハイパーにちりん」と呼ばれていた時代もありました。
JR発足後の車両なので、やはり国鉄型車両と違い、少し未来的なデザインの車両に見えます。
その後、割と最近になって九州新幹線開業に伴い、余剰となった787系電車も使用されています。
お古が回ってきた感は否めませんが、少しずつ車両も新しい形式のものに変わっています。この先、883系や885系が充当されることもあるのか…。少しでも長く路線が存続しますように…。(一時期、限定で883系や885系でのにちりんもあったのですが今はありません。)
私、バスも好きなんです。(大分バス 日野富士5Eの今)
先日、所用で大分県豊後竹田市を訪れたときのこと、たまたま通りかかった大野竹田バス竹田営業所の敷地内に写真のバス(一番右端)がナンバーを切られることもなく止まっているのを偶然発見!!急いで敷地外からカメラでぱしゃり。
私は鉄道も大好きなのですが、バスや船、飛行機といった乗り物全般が好きで、ついつい写真を撮ってしまいました。写真のバスは、日野ブルーリボンのシャシーに富士重工製ボディーを架装した一般乗り合いバスになります。型式P-HT233BA、1987製の古参車です。もともとは大分バス所属で大分南営業所に所属していた車両で、大分バスの子会社である大野竹田バスに移籍した車両になります。
一般にバスはシャシーとボディに分けて製造され、シャシーとボディが同じメーカーで制作されている物を純正車体、それ以外のものを混合車体と考えます。
全国的に見て、この日野ブルーリボンシャシーに富士重工の5E車体を架装した車両は大変珍しいのです。
大分市内では近年までは、同様の車両が多数走っていたのですが、今現在では私の知る限り、予備車1両、教習車1両を残すのみとなっており、全廃へのカウントダウンが始まっています。
この大野竹田バスに所属する当該車両は営業運転しているのでしょうか、、、そうだとしたら是非走行写真をおさめたいですね。
誰か情報をお持ちではないでしょうか…??。もし知ってたら情報がほしいです…。
敷地外であれば前面からの撮影もしたかった…。今日はこんくら~い。
【余談】
大分交通においては、上述の5Eの兄弟車と呼べるのでしょうか、いすゞ富士6Eが健在です。
外見はよく似ているのですが、5Eが大型車なのに対し、6Eは中型車になります。
こちらもよく整備されていますが、私が知る限りこの1台だけが大分市内で活躍しています。がんばって長く活躍してほしいものです。
鹿児島宮崎旅行記④【宮崎編】~鉄活動とちょっとの間の観光~
今日は旅行最終日。明日は仕事。宮崎での観光もあまり時間をさけませんが、少しは宮崎でも観光したい。
嫁さんの行きたいところは、鵜戸神宮、鬼の洗濯板、青島神社でした。私はといえば、宮崎駅で駅撮り。
これだけw1時間だけ時間をもらえましたw
ホテルが宮崎駅すぐ近くのため、朝食後すぐに宮崎駅へ。今日は祝日、そう、海幸山幸号が運行されるのです。目的はこれ。
大分では見られないこの列車をおさめたかったんです。出発時刻は10:07。ホテルで朝食をとって9:30頃に駅に行き、停車中の海幸山幸を撮影。今日も曇りで露出がアンダーです。ただ止まっているのでそんなに苦になりません。
この海幸山幸の元列車となっているのは、JR九州保有のキハ125系気動車。観光列車として改造される列車としてはほとんどがキハ47系の古い国鉄車両な中、割と新しいキハ125系が改造されているので、なかなかオシャンティです。
先頭車両はキハ125-401で「山幸」、後ろの車両がキハ125-402で「海幸」号です。
この列車の改造のポイントとしては、車内に木材を多用していることはもちろんのこと、車両外装にも木材を張り付けているところでしょうか。でも運行開始してから大分経つため、素材の色褪せはもとより、外板が反り曲がってちょっと痛々しかったです。そろそろ張り替え時ではないでしょうか。
3連休の最終日、ほぼ満席の乗客を乗せて、定刻通り出発していきました。
海幸山幸が出発待ち中3番線に入線してきた6760Dのキハ47系との並び。昨日の鹿児島キハ47とは違ってトイレタンク付。
この列車、この後しばらくこの3番線で待機するのでしょうか、エンジンを落として眠りにつきました。
海幸山幸が出発する前、宮崎空港行の713系サンシャインが到着。これも宮崎でしか撮影できないので、来たときはうれしかったなぁ。
以上、宮崎駅での有意義な撮り鉄でした。
この後、鬼の洗濯岩をみて…
鵜戸神宮を参拝して大分への帰路につきました。(青島神社は海に面した場所にあり、当日波が高く嫁さんが怖がった為参拝断念)
総走行距離860Km、平均燃費14.1Km。2リッターエンジンでこの燃費はかなり優秀だと思います。事故無く無事に帰り着くことができなによりなにより。でも体の節々が痛いよぉ(; ;)歳を思い知らされます。
何にしても、旅行から帰ってからすぐにブログの更新を行う気力もなく後日の更新となってしまいました。おしまい。
【余談①】
この日の4075レ貨物列車の牽引機はEF81-303号機(通称銀釜)だったことを帰ってから知り、南延岡で記録撮影すればよかったと後悔しました…。
【余談②】海幸山幸とは。
宮崎は数々の神話が残る神話の国です。海幸彦山幸彦がそのモデルで、神話「記紀」に記されています。
物語を少し紹介。海漁が得意な海幸彦(兄)と山の狩猟が得意な山幸彦(弟)の話です。兄弟はある日、お互いの猟具を交換し、それぞれ別の漁(猟)に出かけます。そこで事件が…。兄の漁具を借りて魚釣りをしていた弟山幸彦であったが、そこは慣れない仕事。大切な釣り針をなくしてしょんぼり。帰ってきた海幸彦に事の顛末を正直に話したところ、烈火のごとく怒り、釣り針を返せ!と…。困り果てて途方に暮れていたところ、塩椎神(しおつちのかみ)からアドバイスが。アドバイスに従い、小舟に乗り「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)(海神の神殿)」に行きます。そこで海神(大綿津見神)に気に入られ、娘の豊玉姫(とよたまひめ)を紹介され結婚します。神殿で楽しく暮らすうち、長い年月(3年ほど)が経ち、山幸彦は地上へ帰らなければならないことになります。そこで豊玉姫から、無くした釣り針と霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰って帰ることになります。しかし、釣り針を返しても、3年の年月が経っていても、海幸彦の怒りは収まっていませんでした。結局、豊玉姫からもらった潮盈珠と潮乾珠を使って海幸彦を懲らしめ、忠誠を誓わせる…といったお話です。
この列車の名前の由来について勉強すると面白いですね。原本を読んでみたくなりましたw
鹿児島宮崎旅行記③【鹿児島番外編】~ちょっとの合間の鉄活動~
旅行記②で知覧の特攻平和会館を訪問した後、時刻は16:00ちょっと前。嫁さんからありがたい一言が。
折角ここまで来たんだから、好きな鉄道写真を撮りによってもいいよって。ありがたい。鹿児島まで来たんだから、できれば快速なのはなが撮れればいいなと密かに思っていたんです。この快速なのはなは、キハ200系で運行されているのですが、九州で活躍するキハ200系は大分地区で運行する赤いやつと、長崎で活躍する青いやつ、そして鹿児島で走る黄色いやつの3つなんです。赤と青はすでに写真で納めてあるので、是非このなのはなを撮ってコンプリートしたーい。と思ってました。
急いで時刻表をスマホチェック。すると、指宿発鹿児島中央行きの最終快速なのはながいます。(下り線はまだ最終が残っていますがいかんせん19:00頃の運行とあって撮影になりません…。)出発時刻は16:34分。土地勘は全くないので、良いロケ地も浮かばない。とすると、どこか途中駅での駅撮りしかないと決断。現在地との兼ね合いで、撮影地を薩摩今和泉駅としました。いっそいで移動。
通過時刻は16:43。何とか16:30頃駅舎にとうちゃーく。いい感じの寂れ具合です。
しかしこの日はあいにくの天候。しかも季節は秋。重く立ち込めた雲に傾いた太陽。露出はかなりアンダーです…。でもま、いっか。記録写真として撮れればそれだけでもありがたい。
ホームへ渡る橋の上で待っていると、この駅で快速なのはなと交換する山川行き普通列車(1345D )が入線してきました。
うーん露出が足りない、isoを上げるとノイズが…。シャッタースピードを犠牲にしてブレブレの写真がいっちょあがり。
この駅のホーム上から見ると、レールの間が緑化事業でもやっているのですか?っていうくらい、雑草でボウボウ。いい味だしてますね~。トイレ用のタンクもベンチレータもすべてとっぱらった天井つるっつるのキハ47系です。ローカル感全開でいいですねぇ。ここでは1名だけ降車。乗車はなし。
反対側から、お目当てのなのはな入線~。やっぱり露出がたら~ん。でもしかたな~い。
ぶれてもいいんです。記念ですから。
これで赤青黄色と信号機色すべてコンプリート。(にんまり)
寛大な嫁さんに感謝。この後は今夜の宿泊地宮崎市内へ向けて移動~。
(クラッチ踏む左足が痙攣をおこしてますが…。)
鹿児島宮崎旅行記②【鹿児島編】~人生観が変わる知覧特攻平和会館訪問~(文章多目)
さてさて2日目。鹿児島はいろいろと見どころのある地域です。桜島、天文館、指宿温泉などなど。県外者の私でも有名どころの観光地はいくつも思いつきます。そんな中嫁さんから表題の知覧特攻平和会館に行きたいとの希望が。実に珍しい。うちの嫁さんは、戦争物は苦手で、特にこういった特攻などの資料館的なところは、絶対泣くからいかない派だったと思ったのですが。理由を聞いてみると、「ある本を読んで行ってみたくなった」とのこと。その本では人生に行き詰まり目標を失った主人公が知覧の特攻平和会館を訪れたことにより、人生観が大きく変わりその後の人生に大きく影響を受けた、といった内容の本だったそうで、自分も行ってみたくなったとのこと。嫁さんも働いているのですが、ここ最近、自分の社会的価値について、仕事をするうえで疑問を持ち、悩むことが多いとのことで、家でもよく相談されていたのです。
そういうことならば、行くべきでしょう。私も一度は行ってみたかった場所です。二つつ返事で2日目の予定は決まりました。旅行記①で書いた通り、当初予定に入っていなかった鹿児島国際大学学園祭参加により(写真はありません)、予定が押してしまったこともあり、平和会館に到着したのは午後2時前。それから2時間弱の滞在でしたが、夫婦ともども行ってよかったと思っています。天気予報は曇りのち雨の不安なものでしたが、ぎりぎり雨に降られることもなく参拝することができました。
到着してまず、若く志半ばで命を燃やした先人に対しこちらの特攻平和観音堂でお参り。
敷地内には、全国の有志からの寄付で立てられた、とこしえにの銅像や石版が多く点在しており、一つ一つ見ていくだけでも当時の凄惨な状況を思い起こさせられます。
こちらが目的の知覧特攻平和会館。会館前に植樹されている木(名前がわかんないけど)が、飛行機や鶴のような鳥にも見えます。おそらくは長い年月をかけて、そのような形に育ててきたのだと思います。
館内は撮影禁止のため写真はありません。展示物の多くは特攻命を散らした隊員たちの絶筆(遺書)です。読めば読むほど涙が出てきます。故郷に残した父母兄弟を思い、必ず戦果をあげて皆を守り通すといったものから、父母より先に逝くことにより悲しみを与えてしまう自分の苦しみや不安を綴ったもの。またある絶筆は幼い子供たちに対して綴った父親としての優しさ溢れる温かい手紙。母親を助け、他人の父親を羨んではいけませんよと。自分は皆を守るため逝くが、目には見えないが必ず近くで見守りますよと。これらどの手紙にも、これから自分は死んでしまい、自分の手で守っていけなくなることに対する無念、心配、願いが伝わってきて自然と涙が頬を伝います。とても数日後には必死の作戦に身を投じる人間が書ける内容ではない、壮絶な精神力のこもった絶筆が所狭しと展示されています。これは丸一日かけてでも全文読みたかったです。
この知覧の特攻基地から飛び立ったのは陸軍航空隊。飛行機による敵艦への特攻作戦は海軍が最初に行ったとされていて、映画にもよく登場しますが、戦局著しく悪化した戦争末期には陸軍でも同様の作戦が遂行されていたのですね。
こちらは敷地内に展示されている、陸軍一式戦闘機「隼」の特攻仕様のレプリカです。
左の翼下には250Kg爆弾を搭載し、右の翼下には同じくらいの重量の増加タンク。一度飛び立てば敵艦に当たるまで決して投下しない爆弾をぶら下げ、特攻目的地の沖縄までの2時間程、搭乗員はどのようなことを考え機体を操ったのでしょうか…。仮に自分だったらどうだろうか…。
ひとしきり絶筆を拝見した後、語り部の方がこの知覧の特攻に関する講演を行うとのアナウンスが。嫁さんと二人で視聴覚室へ向かいます。語りは30分ほど。この知覧特攻基地ができた経緯から、作戦に参加した隊員の背景・特攻までの様子、絶筆の紹介、そして平和への願い。濃い30分でした。私たち夫婦共々号泣。周りの聴衆からも鼻をすする音が絶えません。
この語りの中で印象に残ったこと…。語り部さん「みなさんの今があるのは、戦争のために意図せず命を絶たなければならなかった若者たちと、その戦争を生き抜き戦後間もなくして日本復興のため命を燃やした先人の方々が築きあげた礎のおかげです。その方々に感謝の思いを馳せ、今の時代を生き抜くことを忘れないでください…。」心に刻みました。
最後にこの写真。
特攻平和会館横の敷地内、杉林の中に復元された三角兵舎。当時、特攻出撃が決まった隊員たちが、出撃2~3日前にここに集い、夜を明かした兵舎です。ご覧のように、半地下に建設され、入り口以外窓の無い擬装された建物の中で、残りわずかな時間を仲間とともに過ごし、ある方は絶筆をしたため、ある方々は酒を酌み交わし、様々な思いを募らせていたものと思われます。
私たちの今があるのは、こういった方々の尊い犠牲の上に成り立っています。忘れません。みなさん、ここは一度は訪れる意味のある場所です。
【余談】
最近、多くの国でテロ活動の一環として無差別な自爆攻撃なるものが多く報告されています。欧州のあるメディアではこれをKAMIKAZE攻撃だと表現しています。神風に対する理解不足としか言いようもなく悲しいことです。命を賭して目的を遂行しようとする点ではある意味一致している部分もあると理解できなくは無いですが、今回紹介した特攻は明らかに軍用物をその対象としており、またその思いは復讐ではなく、純粋に国を憂い家族を憂い自身がこの世を去ってからのことを憂慮しながら、後の人間に自分の役割を託さざるをえなかった悲しい悲しい青年たちの歴史的事実なのです。仮に宗教を国・家族と置き換えたとしても、無差別に関係ない人間を巻き込んで自爆するテロリズムとはその構造・背景は断じて違います。この資料館を訪れた私としては自爆テロに対して嫌悪感さえ抱くとともに、カミカゼをテロと同一視する欧州の一部メディアに対しまたそれに共感を覚える人々に深い失望を禁じえません。
鹿児島宮崎旅行記①【鹿児島編】~初日鉄イベントなし~
今日の更新は表題の旅行記と題して4回に分けて記事を更新します。多少文章量が多く、その割に写真少な目です。
去る11月21日~23日の日程で、家族サービスの一環として鹿児島~宮崎旅行をしてきました。初日は我が相棒のスバルフォレスターC型(こだわりのマニュアルトランスミッション、STIスポーツマフラー装備)で鹿児島へ移動。
昼ごろに嫁さんのお友達夫妻と九州自動車道のサービスエリアで合流して、夕方3時ころにホテルへ到着。疲れを癒す暇なく嫁さんご希望のこれに参加してきました。
うちの嫁さんはSCRAP(http://realdgame.jp/ スクラップ公式HP)が企画する「リアル脱出ゲーム」にドはまりしていますw
◎リアル脱出ゲームとは~
参加者は、ある部屋または空間に突然閉じ込められ、周りには同じ境遇の人たちがたくさんいる。部屋にはさまざまなアイテム、暗号、パズルが隠されていて、みんなで協力して暗号を解き、鍵を開き、箱を開け、制限時間内に最後の鍵を手に入れることができれば脱出に成功する。(以上SCRAP公式ページより一部抜粋)
といった、体感型謎解きゲーム企画なのです。
鹿児島にはアジトオブスクラップと呼ばれる常設会場があり、嫁さんは今回夕方18:10の回に参加すべくチケットを購入。参加内容・写真等はネタバレ禁止のため割愛しますが、幽霊屋敷からの脱出がコンセプトでした。
途中怖い演出がいくつかあるのですが、どれもこれも私と友人旦那が引っ掛かり、「おおぅっ」といった男の野太い驚きの声しか響かず…w。うーん、ぜひ嫁さん達に引っ掛かってほしかった…。一応脱出成功できたので結果オーライ。興味ある人は是非参加されてみてはいかが?
【蛇足】このゲームに参加して最後謎解きの解説を聞いた後、スタッフさんから嫁さんにご案内が…。「今、鹿児島国際大学で学園祭(遊華俚祭)が開催されていて、その企画の一つに、SCRAP協力の脱出ゲームイベントやってますのでよかったら参加してみて下さい」とのアナウンスが…。翌日急きょ予定変更して参加したのは言うまでもありません…。どんだけはまってんだよ~…。
その後、近くの黒豚専門店でおいしい黒豚を頂戴しました(^_^)v
この豚さんのおいしいことおいしいこと。お肉あま~い。やらか~い。大満足w
あと、名物のしろくまも食しましたw
初日はこんな感じ~。